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歴史雑学や、日々の出来事などを書いてみます。


by Kujo-Kuma

終幕・後編。

 ―――だから私は選びました。
  ―――お屋敷での世界を護ることを。

 ―――妹は私が護ります。だって私は――――

    ○●○

 三階から四階へ。
 トオノアキハは階段を登る。
 何かに注意する必要もない。何も恐れる必要すらない。既に校内は己の世界、路傍の小石に躓くことさえも起こりえないだろう。
「―――そこに居ましたか、先輩」
 階段を踊り場まで登り、ふと視線を上げた先にある姿。
 ―――暗い。
 眉宇をひそめる。
 照明が全て消された階段は、あまりに暗く四階に立つ相手の様子がよく見えない。けれど見間違えるはずがない。あの忌々しい香りのするカソックをまとう娘が、この場に他に居るはずがない。
 諦めたか―――開き直ったのか。
 手に一本だけ握る剣をぎりぎりと構え、階下に向かい飛び降りようと身構えて。

「―――全て奪い尽くしてあげますわ」

 あまりに遅すぎた。
 瞬時に伸びた朱の色が、無数に放たれた朱の髪が、幾重にも絡み獲り縛り上げ、捻じ切るようにして『収奪』する。
 塵すら残さず。
 欠片すらも残らず。
 紫の髪を短く切られた頭を床に落として、糸の切られた傀儡のようにカソックは床に崩れ落ちた。
 それはあまりに一方的で―――紅赤朱にとっては当然の結末。
「―――あっけないわね」
 故に感慨もない。気負いもない。
 ただ己が為した事実を確認するためだけに、トオノアキハは気だるげに階段を登りきる。そこには砕け散った亡骸と、何のために集めたのか、数本の赤い筒が壁際に並べてあった。
「消火器? わたくしたちに投げ付けるつもりだったのかしら?」
 愚かなことをと、笑う。
 笑いながら朱の髪を周囲に張り巡らせ―――まだ四階に二人のニンゲンが隠れていることを認識させられた。
 二人―――?
 一人は―――ああ、間違いない。このテザワリは間違いなく、己の従卒のモノだ。奥まった場所に佇み、こちらの様子を伺っているようだ。
「屋敷の管理を放り出して………後でおしおきが必要ね」
 ちょうど喉が渇いて、仕方が無いところだ。
 少し大目に啜るのも良いかも知れないわね―――そう考えるだけで、トオノアキハは躯が震える自分たちを感じ取った。より深いトコロで、もう一人のワタシが血を渇望している事が良く判ってしまうからだ。
「どうせ代わりはもう一人―――え?」
 吸い尽くした処でと埒も無いことを考えつつ、もう一人の気配をテサグリする。それは速かった。触れられた事を悟ったかのように、隠れ潜む場所から勢い良く飛び出し、手にした剣を横殴りに投擲してくる―――!
「な―――!」
 放たれた黒鍵は二刀。
 至近距離から投擲されたそれは、一刀がまっすぐに己の顔を目指して飛来する。
「小癪なことを!」
 するとあれは身代わりか。さては傀儡か―――そんな考えを片隅に追い落とし、紅赤朱は紅の髪を壁となし盾として、絡め落とすように難なく受け止めた。
「こそこそと隠れ潜むなんて、まさに泥棒猫ですわね先輩―――!」
「―――!」
 嘲笑を浮かべながら攻撃を受け止め、物陰から飛び出した代行者は徒手空拳のまま紅赤朱に肉薄を試みる。
 律儀に背負い続けていた荷物を降ろした為か、その駆ける速度は今までの中で一番早く―――それでもトオノアキハの視る速度には、一歩も二歩も届かない。
「これでおしまい―――?!」
 刹那。
 重い金属の破裂音が連続して起こり、爆発するような勢いで白煙が周囲を飲み込んでいく。
 圧倒的な量で噴出するそれが、黒鍵で斬り砕かれた消火器から撒き散らされたものであると、白煙を吸い込み激しく咳き込むトオノアキハに認識することが出来たであろうか。
 噴き出す煙は紅い髪をも飲み込み、視界の全てが白煙の中へと沈む。
「―――がっ?!」
 何も見えず。
 何が起こったのかも判らない。
 ただ胸元に激しい打撃を被り、衝撃で躯が宙に浮かび上がった事を紅赤朱は認識出来たのみだ。
 濛々と立ち込める白煙の中。
 何か黒いものがぐるりと旋回するのが判り―――白煙に呼吸が詰まり、乳房の打撃で鼓動を乱され、最後に下された延髄への強烈な回し蹴りが、トオノアキハの意識を根こそぎ刈り落としていた。
 乱れた紅と黒の髪がばさりと広がり、異形の躯が床に崩れる。
 それを確かめ、代行者は重い息を吐き出しながらその場に座り込んだ。

    ○●○

 ―――聞こえてくる。
 何処か遠いところから。何度も何度も。
 大事な人の名前を叫び続ける。

 ―――遠い記憶。
 まだずっとずっと幼かった頃、聞こえていたセミの鳴き声。
 えーんえーんと泣く妹の泣き声。

 ―――過去の記憶。
 目覚めたときはラクガキだらけの場所にいた。
 他の人は見えていない。けれど僕にだけ視えているラクガキ。

 ―――古い記憶。
 学校の教室で出会った、一人の男子。
 それから間もなく殴りあった、そんな関係。

 ―――声が聞こえた。
 泣き続ける声は、ただ一つの名前だけを呼ぶ。
 嗚呼。
 俺以外にも、そんな声であいつを呼ぶ人が居たんだな。

 でももう還らない。

 何度呼んでも、どれだけ叫んでも、もうアイツは笑えない。
 還ってはこれない。
 それなのにどうして―――そんなにも叫ぶのだろう。
 ワカラナイ。
 けれど―――それはとても尊い事のように思う。もうアイツは笑えないし、還っても来れない。けれどそれでも、アイツの名前を呼ぶのは悪いことなんだろうか。

 嗚呼。

 俺も叫んでみようか。
 アイツの名前を。
 今までのように。これまでと変わらないように。俺の手元で泣きじゃくっている、この子と同じように俺も――――


「―――あ」
「良かった………もう目が覚めないのかと思いました」
 遠野志貴は目を開いた。
 仰向けに倒れている自分を自覚して―――目の前に泣き顔で微笑んでいるシエルの顔がある。
 頭の下がほんのりと温かい。
「先輩―――?」
「はい。私です、遠野くん」
 膝枕をされて横になっている自分が居た。
 右手には白くて、少し捻れたような角。今でも泣いている気がするのは、決して気のせいでは無いはずだ。
「有彦は―――」
「………」
 よく見えない視線で問いかけて。
 ―――判っている。聞かなくてもそんなことは。
「乾くんは、弓塚さつきに喰われたと思います」
 それでも。
 誰よりも愛する人から聞かされて、自分はなんて馬鹿なんだと遠野志貴は改めて自覚した。
「―――ごめん、シエル」
「志貴くん………?」
「俺、卑怯な事をシエルに言わせて………本当に、ごめん」
 だからそんなに泣かないでくれと、志貴はシエルの横顔に手を伸ばす。

 ―――その手が届く前に。音もなく。
  ―――シエルの顔は跡形もなく消失した。

「―――え」
 驚きはない。
 漏れたのは、ただそんな呟き。
 けれどそれは夢じゃない。とびきりの悪夢でもない。
 目の前で起こった―――ただ一つの現実。
「し、え、る―――?」
「こんな処に居たんですね、兄さん―――」
 朱の色が周囲に溢れて。そんな声が、聞こえた。
 頭を消された身体がぐらぐらと揺らめき、笑い声のような音を立てながらアカイモノがたくさん零れてくる。
 しゅーしゅーと噴き出るアカイモノが、びしゃりと顔を濡らしてくれた。けれど気持ち悪くはない。いっぱい流れてきたアカイモノが、眼球の奥まで染み込んでくる―――なンて、心地よイ、気分。
「――――――」
 誰かが何かを言っているけれど。
 爪が割れるほど握り締めた、白い角はもう喋らないけれど。

 ―――割れた窓の外を強い、夜風が吹き抜けている。

 途切れた雲の向こうに見える月が、きれいにみえた。
 気が付かなかった。
 今夜はこんなにも―――月が朱い、な、ん、て――――

    ○●○

「さあ、帰りましょう秋葉さま」
 琥珀は呼びかける。
 白い角を握り締めたまま、窓の外の月をじっと眺め続けている遠野志貴を抱き締めて。微笑みを浮かべる兄の顔を、ちろちろと舐める紅い髪の主人に向かって。
「………」
 女主人はこくりと頷く。
 まるで大事なお人形のように兄の体を抱き締めて、紅い髪の娘はとつとつと歩き出す。
 琥珀に秘められた異能。それは"感応"のちから。
 血と体液の契約を結んだ相手を支えて、身体と精神を賦活させる特殊な異能―――だから琥珀と翡翠の幼い姉妹は、遠野槙久に引き取られた。そして琥珀は贄と為り、人形となる事を選ばされたのだ。
 階段で打ち倒された、遠野秋葉を賦活させるのは少し時間がかかった。
 けれど間に合った。間に合ってしまったからこそ―――最後の詰めをしなくてはいけなかった。
 ―――歩き出す四人を見送り、琥珀は改めて荒れた教室を眺める。
 崩れ、壊れ、アカイモノでいっぱいになった場所。そこには半ば解れた包帯を手首に巻いた、引き千切られた左腕だけがぽつんと残っている。
「これで、元通りですね」
 琥珀は笑う。
 なんでもない事のように。
 全ては―――遠野の屋敷での生活を護るため。私たちの世界は、あの場所にしかない。琥珀がお人形で在り続ける為には、あの場所しかないのだから。
「それにね、シエルさま」
 琥珀は笑う。
「貴女はいつか必ず、志貴さんを連れて行ってしまわれる。私や秋葉さま、そして翡翠ちゃんを置き去りにしてしまう」
 千切れて遺された左腕を抱き上げた。
 はらりと解けた包帯が、夜風に吹かれてふわりと飛んでいく。
「―――それだけはダメなんです。九年前のように志貴さんが居なくなってしまえば、ようやく笑えるようになった翡翠ちゃんが、また笑わなくなってしまいますから」
 琥珀は笑う。ただただ笑顔のままで。
「だから―――翡翠ちゃんの為に、私は遠野の屋敷をお守りします」
 抱き上げた左腕。
 その手首に残った自傷の痕。
 それらもやがて塵となり、夜風に吹かれて消え失せた。


 夜空には見上げるような、紅い月。
 ―――これもまた、一つの結末。おしまいのかたち。

(ノーマルエンド)



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 ご存知の方もいらっしゃられるでしょうが、今回の連作は元々Arcadiaさまに寄稿していました。
 今回のブログ再収録を機に、あちこち細かいところを編集しています。少し伏線を張り損なったこともあり、やや判りづらい展開になったこともしれません。己の文章力の無さを恥じたい気持ちでいっぱいです。


 長い作品となりましたが、最後までお付き合いいただいてありがとうございました。
 ご意見、ご感想をお待ちしています。
by Kujo-Kuma | 2007-06-09 19:50 | 月姫SS集