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歴史雑学や、日々の出来事などを書いてみます。


by Kujo-Kuma

悔恨・後編。

「―――消えなさい脱落者。貴女は、その天秤から転げ落ちた」
 突き立てられた黒鍵。
 放たれた第七聖典。
 まだ数体の死者しか創り出していなかった四体目の死徒は、案内人の指図によって攻め込んだ代行者によって、あっさりと殲滅された。
 その骸は灰となり、塵となって消える。
「終わりましたね―――かくれんぼの上手い死徒でした」
 鈍い音を立てながら再装填を終える第七聖典を傍らに置き、代行者は周辺を改めて見渡した。
 此処は神社。
 しかもそれなりに霊格のある土地らしく、僅かとはいえ魔力が境内から漏れ出している事が手に取るように判る。此処に潜んでいた四体目は、この魔力を利用して代行者の目から姿を晦ませていたのだ。
「―――異なる神に仕えていたとはいえ、死徒に屈するとは情けない」
 既に骸は塵となって消え失せ、千切れ果てた巫女の装束が夜風に吹かれて何処かに消えていく。
 その光景を何の感慨も抱かず、代行者――シエルは見送っていた。
「さてと。代行も終わりましたし、情報のアテが出来ましたから帰りますよ、セブン。明日の講義を欠席しちゃうと、後が何かと面倒なんですからね」
『はいマスター』
 しばらくの沈黙。
 常に見せない雰囲気をまとっていたマスターに声をかけられず、うろうろまごまごしていた第七聖典の精霊は、ようやく話しかけてくれたマスターの変わらぬ様子にホッと息を洩らす。
 ―――先日の恋人との逢瀬以来、ちょっと怖かったから。
 内心だけでセブンは呟く。
『あーでも、カリーさんは良いんですか?』
「ほっといていいんです」
 破れ一つ許さなかったカソックの腰に手を当てて、シエルは憤然とした口調で言ってのける。
「だいたい情報料と称して、お昼のカレー代金の全てを私に払わせやがったんですよあの死徒は! これでまた顔を合わせたら、また何を言い出すか判ったものじゃありませんからね」
 がああと息巻くシエルの剣幕に、思わずセブンは目を白黒させてしまう。
「だいたいあいつは―――」
『あ、あのあのマスター!』
「―――なんですか、セブン? カリーを擁護するつもりなんて、まだおしおきが足りていないようですねぇ」
 ぎろりと睨まれる美少女精霊(自称)は再び身を竦ませるが―――それでも今の時刻はこうなんですよーと、泣きながら伝えてきた。
「おや………もうこんな時間ですか」
 云われて懐から取り出した懐中時計は、午後七時になろうとしている。
 大都市の電車ならまだしも、こんな地方都市の路線の終電は驚くほど早い。そして時刻が下がれば下がるほど、本数が激減するのもまた然り。
「こんな事をしている場合ではありませんね………さ、帰りますよセブン」
『はいマスター』
 そして二人は神社を後にした。
 ―――致命的なまでに時間をロスした事を、まだ悟らぬまま。

    ○●○

「―――はあ、やっと終わったよ」
 がくりと肩を落としながら、すっかり暗くなった校内をとぼとぼと歩く。
 遠野志貴の二者面談は、本人が思っていた以上に長引いた。
 一応の希望として、県内の大学の名前を面談前に渡されていた用紙に書き込んでおいた。ランクとしては中の上。それなりに名の知れた進学校に通う身としては、まあ妥当といえば妥当なラインだろう。
「それでも厳しいと言われるとはなあ」
 はあああと深いため息をつく。
 決して志貴の成績は悪くは無い。定期的に行われるテストで赤点は取ったことは無いし、学年全体を通しての順位も百位以下に落ちたことは一度も無かった。
 ―――万年貧血病欠持ちである事を考えれば、まあ上出来だろう。
「でもなあ………有彦より順位が下って辺りがなあ」
 がっくりする。
 遠野志貴が万年貧血なら、悪友・乾有彦は万年サボり魔だ。授業は年の三分の二だけ出れば良いのだと、公言して顧みない破天荒を絵に描いて額縁に入れたような男なのに。
「………なのに学年五十位以内って、いったいどういう事だよアイツは」
 考えれば考えるほど欝になる。
 だから―――教室に戻ったら、ひとまずニードロップをお土産として進呈することを遠野志貴は決定した。
「もう六時を過ぎたのか。早めに帰らないと、秋葉にまた怒られるな」
 照明の消えた廊下から、通りすがった教室の中を覗き込む。もう誰も居ない別のクラスの時計の針は、かれこれ一時間近くに渡って志貴が面談を受けていたことを教えてくれた。

 静かだった。

 廊下を一人歩いていく遠野志貴の足音以外に、校内からは一切の音が聞こえてこない―――そんな錯覚すら連想させる。
「―――色々と思い出すな」
 もう一年も前になる事件の数々。
 忘れられない、忘れてはならない出来事。その中で出会い、別れ、去っていった人々。
 ふと窓から見下ろした先に、校庭が見える。
 見上げた先には、蒼い月。
 ―――心臓が締め付けられるような気がした。
「アルクェイド―――あいつ元気にしてるかな」

 ―――信じられないけれど、わたしは貴方が好きみたい。

 自分の中の異分子が目覚め、人である事から転げ堕ちていったあの夜。
 白い月姫は志貴の体を押さえ付け、心からの本心でそう伝えてきた。あのときの赤い瞳に過ぎって見えた、激しすぎるほどにぶつけられた彼女の想いは、決して偽りではない真実の心だろう。
 けれど遠野志貴は、シエルを選んだ。
 アルクェイドに惚れていた自分がいる。無茶苦茶で天真爛漫で、猫のようにくるくると変わる表情。朗らかに笑う笑顔は、本当に抱きしめたくなるほど魅力的で。
「―――ごめんな、アルクェイド」
 忘れた事は一度も無い。
 満月を見上げれば、あの笑顔は何度でも思い出せる。思い出せるから―――そのたびに懐かしく、そして申し訳ない気分でいっばいになる。
 シエルも薄々は気が付いているのかも知れない――――
「あれ、灯りが消えてら」
 追憶にどれだけ浸っていたのか。
 ふと気が付くと、遠野志貴は自分のクラスの前に立っていた。そんな自分が少し気恥ずかしくなりながら、カラリと扉を開けて教室に入ると―――そこは真っ暗であった。
 天井を飾る蛍光灯は沈黙し、カーテンの閉じていない窓から月明かりが室内を淡く浮かび上がらせているだけ。
 誰も居ない。
「なんだ有彦のヤツ、もう帰ったのか」
 ぶつぶつとぼやきながら、志貴は自分の机に歩み寄った。机に掛けたままの鞄を手に取り、さあ帰ろうと軽く背伸びをしたとき。

「こんばんは、遠野くん」

 ―――トウトツに、声が聞こえた。
 えっ、と振り返る。声は教室の中央から聞こえてきた。志貴を呼び止めた声の持ち主は、蒼く冷たい月明かりを背に、にっこりと微笑みながら彼の反応を心待ちにしている。
「ま―――さか」
「やあだ遠野くん。挨拶しているんだから、ちゃんと返してくれないとダメだよ?」
 ありえない。
 遠野志貴は思わず一歩、後ずさった。取り落とした鞄が床に落ち、びちゃりと小さく濡れた音を立てる。
「まさか―――そんな―――」
「もう遠野くんったら。さっきからそればっかり。せっかく此処まで演出したんだから、もっと気の利いたセリフを云ってくれたら良いのにな」
「そんな、弓塚―――なぜ此処に―――?」
 やっと名前を呼んでくれたねと、弓塚さつきは笑っている。
 一年前のあの日から。
 もう二度と出会うことは無いと思っていた場所で、いま一番追いかけている相手が笑っている。
「弓塚………本当に、君は弓塚さつきなんだな?」
「もう。遠野くんったら、私の顔を忘れちゃったのかなあ」
「忘れない―――忘れられるわけがないだろう。だって、君は」
 そこまでを口にして、ハッとしたように遠野志貴は沈黙した。

 ―――弓塚さつきは死徒です。この国の大死徒に成り果てました。

 シエルの言葉を思い出す。
 大死徒。
 幾多もの下僕を従え、暗闇に隠れ君臨する夜の支配者。二十七祖にはまだ届かぬとはいえ、その空席に最も近いモノたちをそう呼ぶのだと、代行者としての顔でシエルは云ってはなかったか。
「なあに遠野くん? 言いかけて止めるなんて、貴方らしくないと思うよ」
 微笑む。
 まさにうっとりとするような表情で。
 ―――その微笑みは一年前と全く変わらない。時の流れから外れてしまった存在は、決して容姿が変わりようが無いという事実を、此処で改めて志貴は思い知らされた。
「弓塚―――お前に言いたいことがあるんだ」
「うん! なになに遠野くん!」
 背中に回していた両手を顔の前で組み合わせて、まるで飛び上がるような仕草で弓塚さつきは言葉の続きを催促する。
 その手は―――蒼い輝きの中にあっても、赤く赤く濡れていた。
「弓塚、その手は―――」
「あ、これ? あーあ、やっぱり目立っちゃうよね………せっかく遠野くんに会える機会を用意してくれたのに、ちょっと五月蝿かったからってお掃除したのが失敗だったかなあ」
 ぺろりと少女は舌を出す。
 見ればその唇も赤く濡れていないか。ちらりと覗いた牙に、小さな肉片が残ってはいなかったか。
「でもまあ、美味しかったから相殺かな。けっこうみんな、いい味していたんだよ?」
 ―――うそだ。
「うん。ああでも、意外だったのは乾くんかなあ。あれだけ夜遊びしているから、てっきり血だって不味いかなあって思ってたんだけれど、この中では一番美味しかったんだよ」
 ―――うソだ。
「もうすぐ遠野くんが面談から帰ってくるからって、ちょっと急いで食べちゃったのは失敗だったかな。ちゃんと味わっておけば良かったかも―――ねえ、遠野くんはどう思う?」
 ―――ウソ―――ダ。
「弓塚―――有彦を―――どうした―――?」
「え? やだ遠野くん、足元に転がってるのに気が付かなかったの?」
「………」
 指差されるままに、見た。
 蒼い蒼い月明かりの中。赤い赤い池の中に。
 見慣れたはずの青年がうつ伏せに転がっていた――――
「       」
 錯乱した。
 遠野志貴は砕けた。涙も無い、叫びもない、ただただ動かない乾有彦の骸の側に跪いて、ゆさゆさと力無く揺すっている。
「や、やだちょっと遠野くん! しっかりしてよもう!!」
 聞こえない。
 もう何も聞こえない。
 誰かが自分の両肩に手を当てて、強すぎる力で揺さぶっているのもワカラナイ。

 モ ウ ナ ニ モ ワ カ ラ ナ イ。

「しっかりして、しっかりしてよ遠野くん?!」
 弓塚さつきも錯乱する寸前だった。
 こんなはずじゃない。こんなことになるなんて。そんなウソでしょう。私はこんなことをしたかった訳じゃない―――!
「―――事情を説明してもらえますか、弓塚先輩?」
 静謐な声。
 何が何だかわからなくなり、思わず泣き叫びそうになった弓塚さつきに向けて。
 ―――血よりも朱い殺気が放たれている。

    ○●○

「………え?」
 駅のホームでの待ち時間。
 目立つカソックから普段着へと着替え、目立つ第七聖典は大きな鞄に見えるようにまとめてある。
 今のシエルは何処から見ても、帰宅途中の女子短大生。
 ホームのベンチに腰かけて、これで三つ目となるカレーまんを食べているだけの、ごくごく普通の女性にしか見えない。
『? どうかしたんですかマスター?』
「いまちょっとイヤな予感が………気のせいでしょうか?」
 ざわざわと締め上げるような違和感。
 今まで感じたことの無い、今までは感じることも無かったであろう、何かとても嫌な感覚。
「ふうむ………こういう事をこの国では、虫の知らせと言うのでしたか」
『?? どうかしたんですかマスター? あまりぶつぶつ言っていると、ヘンな人にしか見え』
「………何か言いましたかセブン?」
 腰かけていたベンチから第七聖典を突き落とし、コンクリートの床に鈍い音と共に衝突させる。まばらな周囲の人たちが、いったい何事かと注目してしまうほどの音だった。
『はわう………な、なんでもありませんマスタあ』
「判ればよいのです」
 四つ目のカレーまんに手を進める前に、シエルはホットレモンの缶ジュースを手を伸ばす。

 ―――取ろうとして、取り落とした。

 がこんがろがろがろと鈍い音を立て、中身を零しながらホットレモンの缶は転がっていく。
『………マスター?』
「また―――何なんですかこの感覚は?!」
『ちょっとマスター、落ち着いてください!』
 何かがおかしい。
 何かが自分の中から零れていくような、そんな耐え難い失墜感。
 足元に奈落への穴が開いたような―――似たような感覚なら前にもある。少しずつ明けていく夜明けの中、膝枕をした相手が目覚めてくれるまで続いた、救いようの無い圧倒的な喪失感。
 何かがおかしい――――
『マスター! マスターしっかりしてください!!』
 セブンも異常を感じていた。
 元々シエルとセブンは、血の契約によって精神を共有している部分がある。だからこそ声には出さずとも、お互いの意思疎通を可能にしているのだから―――けれど今はそんなレベルではない。
 セブンも感じている。
 マスターの中から消えていこうとする、シエルの中にもたらされ宿った、もう一つの―――遠野志貴という存在。
『!!』
 直感した。
 あの日からこの一年の間に、遠野志貴とシエルは幾度と無く身体を重ねている。
 魔術師の間での基本知識として、性行為による"体液交換"と呼ばれる簡易儀式がある。それは意図的に行わなければならないものだが、心から惹かれ合う者同士が何度も逢瀬を重ねれば、自然とお互いを結ぶパスが構築される事があるのだ。
 ということは―――!
『マスター! 志貴さんの身に何かがあったんじゃ?!』
「―――!」
 自分の中から消えていく何か。
 それが何なのかを教えられた瞬間、全てのパーツがシエルの中で組み上がり、その理由と原因を悟っていた。
「待っていられません―――いきますよセブン!」
『はい!』
 周りの人々がひそひそと話し合い、聞きつけた駅員が何事ですかと尋ねようとした正にその時。
 シエルは瞬時にホームを駆け抜けた。
 誰も止める暇もありはしない。ホームの端まで瞬時に駆け終えると、いま正にホームへと滑り込もうとしていた電車の前へと飛び出し―――周囲の悲鳴を他所に、一気に電車の屋根を蹴飛ばして夜の中へと消えていく。
 後には、呆然とした人々だけが取り残された。

    ○●○

「―――事情を説明してもらえますか、弓塚先輩?」
 転変する。
 しっかりと閉められた窓。何処からも夜風が吹き込む余地は無いというのに、兄の教室へと舞い降りた女性の黒髪は、ゆったりとたなびいている様に見える。
 黒髪?
 いや違う。
 既に遠野秋葉の長く艶やかな黒髪は、身体を流れる異種の血そのままに紅の色へと染まっている。
 知っている者が居れば、こう告げるだろう。
 ―――紅赤朱。
 もう始まりすら忘れられた、古き遠き過去。その時代から遠野の血族の中に混ざり込み、伝えられ、忌み嫌われ、そして畏れられてきた異形の首座に在るモノ。
 完全ではない。
 まだ人の域に留まっている。
 その紅い瞳には、まだ人としての、遠野秋葉としての理性が残されている。倒れて動かぬ親友の側に座り込み、呆然と竦む兄の姿が彼女をまだ人の世界に留めていた。
「説明―――説明ですって!?」
 そして弓塚さつきもまた。
 あまり伸ばしていない栗色の髪が揺らぎ、踏みしめた足が硬い床にびしりと亀裂を入れる。握り締めた手には、空気を揺らがせるほどの力が込められていた。
 ―――死徒。
 広義に伝わる伝説の吸血鬼。常人に十数倍する身体能力、およそ人知の想像を越えた現象を可能とする異能力。
 けれど彼女も、完全ではない。
 それだけの異形を剥き出しにしながらも、弓塚さつきもまだ踏み止まっていた。その真紅の瞳に、崩れ去ろうとしている遠野志貴を見据えながら、果ての無い後悔に身を震わせている。

 ―――全ては計測通りです――――

「説明なら私がしてほしい! 私、聞いてない!! こんなことになるなんて知らなかったんだから!!」
「―――知らなければ済まされる問題だとでも?」
 暴れる。
 暴れられる先があるのなら、今すぐにでもぶつけてしまえばどんなに楽になるのかと、それだけを吐き捨てるように弓塚さつきは渇望している。
 対する遠野秋葉は冷静だ。
 弾けそうになる自身を制御し、紅に染まった髪をゆったりと広げていく。物質としての髪の広がりは知れている。けれどその先にも連なって見える、朱の色をした髪は何だというのだろう。
「―――弓塚先輩。私は失望させられました」
「何によ! 期待もしていないクセに、勝手に失望しないでよ!!」
「私と貴女は、似たような存在だと感じていました」
 びしり。びしり。
 踏み出す度に、一歩を進めるたびに、死徒の足元が砕けていく。
「一人の男性を心から愛しながら………決して届かないと自分では判っているはずなのに、それでも追いかける。そんな部分が似ていると、以前に一度だけお会いした時に直感しました」
「! そんなことない、そんなことないもん!!」
 否定する。
 届かないという言葉を否定する。
「私、こんな風になって、やっと遠野くんのことが判ったんだもの! 遠野くんは怖い人、だって彼はいつも―――」
「―――死と向き合って生きているから。違いますか、弓塚先輩?」
「あ―――」
 なぜ。
 なぜあの人は―――そんなに簡単に分かってしまえるの?
 何故―――?!
「私と貴女は、合わせ鏡のような存在なのですね。お互いの中に自分を見てしまうのですから」
 朱の色をした髪が舞う。
 いつの間にか教室の全てを包み込もうとしていた事に、死徒は初めて気が付いた。
「―――この髪は―――?!」
「私は"檻髪"と呼んでいます。私の中に流れる、古き遠野の血に支えられた異形の術です」
「おり………がみ………?」
 呟く死徒の言葉に、短く頷くことで答える。
「さようなら、弓塚先輩。もっと早く出会えていたら、二人でシエル先輩を兄さんから遠ざける事も出来たでしょうにね」

 ―――どくん。

 今、何と云った―――?

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 五月蝿い。
 あの髪の毛が五月蝿い。
 私を否定するあの声が五月蝿い。
 私にさよならという、あの女が五月蝿い。
 遠野くんを奪っていった、あのシエルという女が五月蝿い――――!!

「あ、ああああああああああああああ!!」
「―――全てを奪い尽くすわ」
 闇の中に広がっていた朱色が、収束する。
 混血と沈殿を続けた遠野の血。遥か古代より受け継がされてきた、異形の血そのものが髪となり檻となり、際限の無い飢えを満たすかのように弓塚さつきの躯を絡め獲る。
 瞬間、闇に沈んでいた学校は朱の輝きの中に消えた。

    ○●○

 ―――飛ぶ。
 文字通りシエルは飛んでいた。
 埋葬機関の第七位の名は伊達ではない。電柱という電柱、屋根という屋根、道という道を飛び渡り、走り抜け、尋常ならざる速さでシエルは駆け抜けていく。
「………!」
 さすがに息が荒い。
 呼吸が乱れそうになる。
 それでも止まらない、止められるはずがない。今はひたすら駆け抜け走り切り、一刻も早く戻らなくてはならない。
 間に合うのか。
 間に合わないのか。
 そんなことは問題ではない―――とにかく戻るのだ。愛する人の元へ、安全だと思い込んで同行させなかった判断ミスを正す為にも。
 今はただ走り抜ける―――!
『ま、マスター!』
「なんですかセブン、今ヘンな事を言うのなら置いていきますよ―――!」
 右肩に下げ紐をかけて、背中に回して運ぶ第七聖典。今は追加装備を外してあるとはいえ、その重量はシエル自身よりも重たいほどだ。
 それほどの重量を背負っているというのに、今のシエルの速さは正に弾丸そのものだった。
『ヘンな事を言います! だから置いていってください!!』
「な―――私を怒らせるつもりですか貴女は―――!!」
『でもこのままじゃ間に合いません! 私重たすぎるんです! それはマスターが一番分かっていることでしょう!!』
「黙っていなさいセブン!」
 激怒。
 いや、赫怒していると云ってもいい。
 絶望的なまでに間に合わないこの事態にあって、セブンの言いようにシエルは激しい怒りを爆発させていた。
「志貴くんも貴女も、私の家族です! 私が帰ることの出来る場所を捨てろというのですか貴女は―――!!」
『あ―――』
「ええいもう、黙っていなさい! 無駄な魔力なんて使っている暇は無いのですからね―――!!」
 もうセブンには答えられない。
 流せるものならば、大粒の涙を流していたことだろう。
 けれどそれはできない。自分は第七聖典。魔を滅ぼし、殲滅するためだけに創られた概念武装―――今までそんな自分を誇らしく思うことはあれど、泣きたくなったことは無かったのに。
 シエルは爆走する。
 既に体力など尽きていた。今は規格外れとさえ称された、膨大な魔力そのものを燃やして走り抜けている状態だ。
 あの駅から此処までで、まだ道は半ば。
 既に魔力の半分は燃やし尽くし、遠野志貴の反応がまだ残っている場所に達する頃には、さすがに全ての魔力を使い果たしているだろう。
 もしそこに、原因となる大死徒が居るとするのなら。
 シエルは到着しても何も出来ぬまま、倒されてしまうのかもしれない。いいや、その可能性の方が十分過ぎるほどに大きい。
「―――それが何だって言うんですか」
 ふと思い至った想像を吐き捨てる。
 仮にこれが全て、大死徒に協力していると目される、魔術師の計画通りなのだとしても。
「そんなことは知ったことじゃありません―――!!」
 今は駆け抜ける。
 ひたすら走り抜ける。
 もう僅かにも感じられないぐらいに小さくなっていく、遠野志貴の心を引き戻すためならば私は――――


(終)



○次は→第六話「欠落」


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 さて今回、久しぶりの出来事がありました。
 自分で書いているシーンでありながら、三者三様の女性たちの悔恨と怒りに鳥肌が立ちました。
 それでも彼女たち三人は美しいと思ってしまう私は、やっぱりダメダメでしょうか。もっとイヂめてやろうとか―――いやいやそんなことは考えてもいませんよ?(がくがくぶるぶる

 残る話数は、恐らく二話となるでしょう。
 錯乱してしまった遠野志貴の行方もありますし、激突する三人の娘たちの結果もどうなるのか。
 そして陰に立つシオンはどうするのか。

 筆者としても書きながら、どう進んでいくのかが楽しみであり不安です。ですが始めた以上は完結させるためにも、じっくりと腰を据えて進めていきますね。
 よろしく今後ともお付き合いくださいませ。

 ご意見、ご感想をお待ちしています。
by Kujo-Kuma | 2007-06-09 18:44 | 月姫SS集